美術館は、古代の壷、古銭、彫刻の模型を所蔵している、モスクワ大学の美術と骨董品の展示室をベースに造られました。1889-1890年、イヴァ ン・ヴラヂミロヴィチ・ツベタエフがこの展示室の館長であったとき、この展示室は教育目的の美術館となり、そこに展示されていた石膏模型、ガルバニックの コピーは、科学的なプログラムに基づいて古代から現代までの主な芸術の歴史の段階的に展示されました。この美術館は、ロシアにおけるこのようなタイプの施 設として第一番目のものとなりました。
ツベタエフ所長は、オリジナルから直接とっていたフォームで作られていた模型とほかのコピーを外国のアトリエに注文しました。美術館の展示の一番大 きい部分は古代芸術でした。中世期、イタリアと北のルネッサンスの芸術はロシアで始めて紹介されました。多くのすばらしい模型やコピーで展示された作品 は、芸術愛好家にとって新しい発見となりました。理由は模型がオリジナルを忠実に再現していたからです。
ブラジミル・セミョーノヴィチ・ゴレニシェフというロシアの東洋研究家が集めた古代エジプトの芸術と文化(6千以上)の大規模なコレクションは、 1909-1911年には美術館へ譲り渡さました。このおかげで、大学の美術館には、とてもすぐれた古代東洋のコレクションができました。
ミハイル・セルゲイヴィチ・シェキンという外交官は、自分で集めたイタリアの絵画と13-15世紀の装飾芸術の作品を寄付しました。そして、エリザベータ・フョードロブナという大公爵夫人は、16-17世紀の最初のイタリアの彫刻を贈呈しました。
アレクサンドルIII世名称美術館は、1912年5月31日(新暦6月13日)に盛大な開会式が催されました。
新しい美術館はすぐ有名になりました。平日には700-800人、日曜日と休日には2500人が訪れました。
革命時代の根本的な変化は、美術館にも影響を与えました。1923年の春、この美術館において、古い西洋絵画芸術の美術館を創立することを決定しま した。1923年11月より、美術館は大学の支配から国立美術館になりました。1924年には、以前は私有物であったコレクションや、エルミタジュを含む ロシアの国立美術館、国有化された屋敷からの絵画がこの美術館へ譲渡されました。
1937年には美術館はA.S.プーシキンの名前をもらいました。
1941-1944年には博物館の多くのフォンドが、ノヴォシビルスク市やソリカムスク市に緊急移動しました。1944年より、戦争のとき爆撃で被 害を受けた美術館の建物と展示の再建が始まりました。復旧作業と収集、またクリミアとタマニでの考古学上の発掘が再開しました。
国立美術館は、北黒海沿岸地方への定期発掘のほかに、ザカフカス地方(古代エレブニ地域)の考古学の発掘作業に参加しました。
1948年には、新西洋芸術国立美術館の閉鎖に伴い、美術館には19世紀後半―20世紀の最初の三分の一の西洋とアメリカの画家のおよそ300点の 絵画と80点以上の彫刻が譲り渡されました。これは主にイヴァン・アブラモヴィチ・モロゾフとセルゲイ・イヴァノヴィチ・シュキンというモスクワの収集家 の有名なコレクションからのもので、フランスの印象派の絵画です。この作品は美術館の絵のコレクションをもっと近代的にさせ、そのおかげで、美術館は世界 で有名な名作の所有者になりました。
1949年の終わりから1953年まで美術館の多くのホールではイ・Ⅴ・スターリンへの贈り物の展示会がありました。総合すると、美術館が存在していた期間で1200回以上の展示会が行われました。
モスクワでの文化的生活の大きなイベントとしては、1955年、国立美術館で開催されたドレスデンの美術館からの名作展でした。この展示は、第二次世界大戦のときにソ連に移動され、美術館の職員の努力で保存された作品の展示のとしては最初のものでした。
1985年にはイリヤ・サモイロビチ・ジルベルシュテインというソビエトの収集家とイリナ・アレクサンドロヴナ・アントノヴァという美術館の所長の 発案により、個人コレクションの部が創立されました。初めて個々の作品ではなく、コレクションそのものが研究と美術館の収集の対象になりました。個人コレ クションの展示は1994年1月24日に始まりました。
2005年8月から、国立美術館の19-20世紀の絵画と彫刻の拡大した展示会が開かれました。建物は"欧州とアメリカの 19-20X世紀の芸術ギャラリー"と名づけられました。
2006年には、国立美術館の所属として"ムセイオン"という子供と青年の美術教育センターが開かれました。
美術館はモスクワのほかの地域でも支部を持っています。1996年にはイヴァン・ヴラヂミロヴィチ・ツベタエフ記念教育美術館が創立されました。こ れはロシア国立人文大学(RGGU)の建物のなかある国立美術館の支部です。1997年5月30日に開かれました。この展示は、国立美術館の主な展示に入 れられなかった、前に大学の美術館にあった石膏模型です。
1981年から、スヴャトスラヴ・テオフィロヴィチ・リフターという有名な作曲家の提案で、美術館はその建物の中で"12月の晩"という世界音楽祭 の開催をはじめました。1997年から"スヴャトスラヴ・リフターの12月の晩"と名づけられました。音楽家の遺言に応じ、1997年より彼のアパートは 美術館所有となり、記念館になりました。
現在、A.S.プーシキン記念国立美術館のコレクションは、絵画や彫刻、図画、工芸、考古学と古銭、芸術的な写真など、67万点以上の作品が保存されています。